2015年9月9日水曜日

僕は人殺しの子供の子供だった

つまりそういうこと。これは事実であって、その殺人が行われたのは、今からたった70年ほど前の話だ。人殺しの子供とは僕の父であり、母であって、人殺しとは僕の二人の祖父である。つまり祖父は二人とも太平洋戦争に従軍していた。

戦後70年経って、戦争当時若年兵といわれた人でもすでに90歳近い。当時現役だった20~40歳の人々はすでに鬼籍に入り直接話すことは出来ない。70年前と言ってもたった2世代前の話だね。

以前父にそれとなく聞いたことがあるけれど、祖父は戦争中の体験をほとんど語っていないようだ。それはそうだよね、自分が人を殺したり、仲間が殺されたり、そんな話を家族、ましてや子供には出来ないよね。しかしたった2世代前の僕の肉親はそれを目の当たりにしていたわけだ。


戦後70年ということで、今年は節目の年らしい。8月には主にNHKで戦争特番が放送されるのだが、今年僕は2本の番組をみた。

「カラーでみる太平洋戦争」

「終戦から7日目 戦争は終わった」

8月になると毎年少し戦争の勉強をするのですが、日本における第二次世界大戦といえば、
・中国と戦争
・ハワイの真珠湾
・東南アジアで戦争
・原爆
・敗戦
・戦後
という切り口が多いなと感じた。僕の祖父たちがどんな場所でどんな戦いをしていたのかというのは、テレビ、新聞といったメディアにおいては「軍部の妄信により補給も無いまま、物量に勝るアメリカと戦っていた」という切り口ばかり。

前線のこっちとあっちにの両方に同じ人間がいて、イデオロギーのために、国の命令によって人を殺しあっていたというひとつの事実に行き着くのは容易ではない。戦争反対というのは、自分が殺されるのはまっぴらだという正当な理由の他にも、人殺しになるのはごめんだぜという素朴な理由もあって、そうならないためにどれだけの努力を重ねるのかということではないのだろうか。

自分で出来ることも少しはあるはずだ。まずはそこを考え、実践していこう。

今聞いているのは、Maurice Ravel [Le Tombeau de Couperin-V-Menuet]
演奏はSamson François。この曲は第一次世界大戦に従軍したラヴェルが戦死した知人ジャン・ドレフュスの名前が冠されています。とても良い曲です。