梨木 香歩 「不思議な羅針盤」 P85より
「私の方も、自分の内面を突如襲った猛々しさに泣きたいような感じを抱いていた。」
(これは梨木香歩が自分の犬を連れて散歩しているときに、他の飼い犬に襲われ、それを撃退するために怒りに身を任せて行動してしまった、という体験の後の言葉)
2011年の終盤、自分の中のダークサイド(影ともいえる)の存在が強くなり、それに恐れを感じていた。ダークサイドというと聞こえが良いが、それは怒り、弱さ、恐れ、意地の悪さなどを含んだ暗い感情。一方で光あっての影であり、ダークサイドを分離しては、もはやそれは自分(人間)ではない。
この関係をうまくとっていかないとならないのですが、ふと細かいことに気がつくと、光と影は何と絶妙なバランスを取っていることか。光は闇へ、闇は光へ・・・一瞬で入れ替わる。人間(僕)は常に光と闇の境界線をオタオタと歩いているのだと、自分の足元をみて思い出す。
実際には出ていないのだけれども冷や汗のようなものを感じながら、それでも時は過ぎるし、一人でじっとしているヒマはない。そんな時は空を見ればよいのだと思った。朝、昼、夕方、夜。晴れていても雨が降っていても、空を見ていると不思議と気持ちが段々と落ち着いてくるのです。そして視点の焦点が定まるように、光の方へ目が向き、ダークサイドに落ちないですむというわけです。大げさに言えば、ですが。
自分の足の下に常に影が付きまとうように、きっと僕はダークサイドの人間です。
今聞いているのは、ペルゴレーシ[スターバト マーテル]
キリスト教徒ではないが、ああぁ、ごめんなさい、という気分です。
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