梨木香歩
「エストニア紀行-森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」
2012年9月30日新潮社 P177より引用
肉体は現在にあるが、人の精神は、現実、(たとえば今この一瞬なら2012年)にコミットしているのはほんの一部分で、ほんとうは各自、他者の窺い知ることのできない遠い時代と密接に結びつきながら生きているのだろう(戦国の世の群雄割拠、国取り意識を生きている人もいれば、平安時代の恋愛至上主義を生きている人もいるだろう)。
読んでいてハッとさせられる。梨木香歩のエッセイはたびたびそんな文章と出会えるから好きだ。個人的には人間は死んだら終わり、何も無くなる、という考えの持ち主なのだが子供が生まれてからというもの今までの人生以上に複雑な感情を持つようになった。
先日、パゴダ(息子、3歳)が悪いこと(人の顔に向けてブロックを投げる)をしたので、久しぶりにわざと大げさに叱った。大声を出し、大きく目を見開き、じっと睨みつけ説教をするのだが、パゴダの顔の表情が段々と変わっていくのを認識していた。
まずは驚き。きっと自分の想像以上に怒られているのでびっくりしている。
そしてはぐらかし。何とかしてこの説教を切り抜けようとする(多くの場合はここで僕は負けて怒るのをやめてしまう)。
次はショック。予想以上に怒られ、お得意のはぐらかし作戦も不発で、説教パワーに負けてしまって何もできなくなる。
というわけで最後は号泣。まだ小さな目に、いきなり大粒の涙があふれる様をみるのは、これが正当な説教であってもやはり悲しい。
ある意味こちらも試されているのだと実感・・・。
七五三の撮影をしたときのパゴダ。刀を持たせてもらって得意顔です。
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