3月にパゴダが所属する保育園の卒園式(と進級式)が有るのだけれど、今年はきっと泣いてしまうだろう。昨年の卒園式で涙をこらえるのがやっとだったのだから、今年はもう我慢できないだろうことははっきりしています。
今年の卒園式は、自分の子供のことではないのだけれども、パゴダが1~5歳の今まで多くの時間を共有した仲間の卒園式であり、その子供の親ともかなり親しい付き合いをしているので、なんだか自分のことのように強く共感してしまう。あのときは大変だったけれど、よくここまで大きくなった!立派な姿ではないか!とまるで自分の子供のことのように思うのである。
これは不思議なことで、自分と同じような境遇の人に対して共感というものはどんな内容であってもほとんど感じないのに、子供の話題となると背景など抜きに感じ入ってしまう。ネグレクトによって亡くなってしまった4歳の子供もパゴダと同じような顔をして寝るときがあっただろうか・・・のように。これは人間という種を守るために、種全体で子供を守るようにDNAに刻み込まれている感情なのかと思ったりもしますが本当のところはわからないだろうし、重要なことではないように思われます。
卒園式の日まで1月ほどあるのですが、僕個人にとっても切ない日々の予感があります。
今聞いているのは、マイケル ジャクソン [Remember the time]
まさかこの歳にしてMJにはまることになるとは・・・もったいない人生を過ごしてしまった
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