先週の日曜日、12月9日は非常に有意義な日でした。
午前中はパゴダがいる保育所が催した「柴田愛子」さんの講演会。世田谷で「りんごの木」という保育園をやっている方の大げさに言うと教育論です。
非常に共感できる点が多くて、妻もなんとなくうなずいていました。たくさんあったトピックの中で
・できないことは、できない
・避難場所を作ってあげる
・それがほんとに子供の側に立っている行為か考える
・激しく怒ることをはっきりと決め、感情的に怒る
といったことが記憶に残りました。
・できないことは、できない
これは成長途中の子供が生理的、機能的に不可能なことが結構あってそれを理解したうえで付き合うということ。たとえば子供は声の大きさを調整する機能が未発達で上手にできない。小声でしゃべるのも上手ではない。だからうるさいのはしょうがない、ということです。
なるほど、納得です。急いだり、好きなことを途中で止めたりするということもできにくいのかも知れません。なお、柴田さんは3歳位まではサルレベルだから何ができて何ができなくても心配するだけ損といっていました。
・避難場所を作ってあげる
子供が辛いことに直面したときに、「ここに居れば安心」、「ここに戻ってくれば安心」と心から思える物理的や精神的な場所が必要ということ。主には親が避難場所なのだけど、トラブルの原因によっては保育園など家庭以外の場所にも避難場所は存在する。
そのような場所があって、傷が浅ければまた子供は外に出て行くということです。
ちょっとけんかした位だと、うぇ~んと泣いて、「どうしたの?大丈夫だよ!」というだけで泣き止んでまた遊びに行くといういかにも日常の様子が思い出されます。
・それがほんとに子供の側に立っている行為か考える
たとえば良い子の定義。「小さいこの面倒を良く見て」「大きな声で挨拶できて」「静かに待っていて」「好き嫌いせずたくさん食べて」「服を汚さず遊んで」「滑り台を逆から登らない」「公園では友達におもちゃを快く貸してあげて」・・・
これが全て自分の子供にあてはまっていたら確かに気持ち悪い。良い子というのは親の(特に他人に対するときの)願う子供像であるのだなと納得。その時々の子供の本心はどうなのか?というのに思いをめぐらせなければなりません。
・激しく怒ることをはっきりと決め、感情的に怒る
交通事故など子供には予想しにくい危険、人の尊厳を傷つける(差別、人を侮辱するなど)の時は諭すよりも、強く感情的に叱った方が伝わるという話。
個人的には強く叱るときにウルウルしているパゴダの目をみるとグラッとしてしまうのだが、直感的に自分が悪いことをしてしまったと思わせるのは大事ですね。
親としてパゴダとの接し方が少し変わるきっかけとなりました。
今聞いているのは、Beth Orton [Paris Train]
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